そう思って、今回、ある授業で、「コピペのみによるレポート」という課題を出してみた。ネットでアクセス可能な記事や論考の一部を切り貼りして組み合わせることで課題に答えるというものだったが、これがけっこう興味深い結果となった。
一応、評価基準はあらかじめ示しておいた。基本的に接続詞など最低限の文章のつなぎ以外はすべてコピペ文で構成すること、コピペ文にはすべて元 URLを付け検証可能とすること、1つの文章を長々とコピペするよりいろいろなものを組み合わせたものを高く評価すること、同じ内容ならより有力な元サイトからのコピペを高く評価すること、レポートの構成に関してはオリジナリティを評価することなどだが、ひょっとして皆同じ内容になってしまうのではという危惧に反して、内容がけっこうばらけただけでなく、レベルの差がかなりはっきり現れたのだ。コピペでちゃんとレポートが構成できる学生は、それなりに内容を理解しているということなんだろうし、他の人とちがうところから引用していれば、よりていねいにあちこちを探しまわったということがわかる。それにこれなら、コピペかどうかで気を病む必要もない(全部コピペなんだし)。
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現実に求められる能力は既にこっちになりつつある
(via y-u)
親戚多くて年2回ペースで葬式がある俺登場
葬式で要注意なのは死んだ直後。
死んだ直後は取り乱してわけわからん事になるので、とにかく
協力者や他の家族がいるなら、泣いてないで家の掃除をさせる。
で、業者に『家に運んでもらう』
業者は葬式屋と組んでて、あの手この手で葬式場へ運んで
葬式を断れなくさせようとしてくる。だから絶対家に運べ。
もっと安上がりなのは自力でレンタカー借りてロングバンで無理やり運ぶ
方法もあるが、近所に不審がられるからオススメできない。
会場が必要なら葬式場じゃなくても全く問題ない。
葬式屋じゃなきゃ葬式出来ないなんて思ってるのは完全なアホ。
自宅が狭くて無理って言うなら
適当な会場に祭壇(レンタルで何と、3万から5万円)と、花屋のデリバリー。
計10万あれば出来る。もっと言えば、祭壇なんて日曜大工出来る人なら1万円で…
通夜は「家族だけで」と言って追い返すか、家に泊まってもらえ。
線香蝋燭役は誰か残れば良い。まぁつったって通夜やりたいだろうし
畳の部屋で葬式やって貸し布団レンタルが一番いいだろうな。体面的に。
食事はオリジン弁当とかのオードブルセットとジュース発泡酒で十分。
告別式は適当に。坊主には大体通夜5戒名5(通夜で計10)告別5包めば十分。
何人呼ぶかわからんが、このぐらいやれば花代でまずアシは出ない。
やろうと思えば、火葬以外は全部自宅でできるんだよ。葬式は。
事前に死亡届と火葬許可貰っとくの忘れんな。火葬場は公営のとこ予約しとけ。
火葬許可は埋葬届になるから大事に持っておけよ。墓? 知るか。
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ヒロイモノ中毒 - 葬式はやろうと思えば火葬以外は全部自宅でできる (via darylfranz)
2010-12-29
(via mmtki)
(via tamejirou)
これは驚いた。 あった事と推測の区別が出来ない人間がいるというはなし以来の驚き。
イスラエルの「刑務所で10カ月間に行なわれた仮釈放審査委員会の審問、計1112回分の結果を基に」した研究:Danziger S, et al. 2011について。
これによると、 朝、仕事を始めた時は判事はおよそ65%くらい仮釈放を行うのに、疲れている軽食休憩の直前になると仮釈放を認める確率が1割以下くらいになる。休憩から戻ってくるとまた65%くらいに戻ってそれから数時間でまた1割くらいに下がるらしい。
まず、人間の判断がこんなに疲労によって左右されるというのが驚いた。 計算能力とかその手の能力への疲労の影響というのは昔からよく研究されているし、6倍以上も変動したりなんかしないはず。 だからおそらく(記事が言うように)「倫理的・道徳的」判断だから変動するのだろう。あるいは不確実性が高い問題だからだという解釈も可能だろう。つまりその種の問題を扱う能力は計算能力などとは全く違うのだということ。これが第二の驚き。 (この記事で紹介されている理論によれば疲労すると現状を変えない選択をしがちだという事らしい。)
第三の驚きは人に対するこれだけの不公正が気付かれずに放置されてきたこと。 そして第4の驚きは、人はこの種の変動に自分ではほとんど気がつかないのだと言うこと。おそらく私達も知らずにその手の間違いを多く犯しているのだろう。
で、自分の話をすると、最近、似たようなことに気がついていた。 問題に出会うと普通は解決策を2つ3つ考えてその中から良い方をとったりするわけだけど、 疲れてくると解決策を思い付くことはできるけど、決断することが出来なくなる。無理にしようとしてもどっちが良いのかまるで分からない感じになる。それが翌日に再開するとほとんど迷わずにきめることができたりする。 自分はこの現象は「疲れると、トレードオフに参加する変数が多数になるとき、結果のpayoffやコストの評価が出来なくなる」という風に理解していた。件の結果をこれで説明することもできるな。
— 最上の日々 (via kanichi)(via ignis09)
22 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/28(水) 19:33:57.87 ID:FL3UPK0n0
母ちゃん「ゲームばっかりしてないで外で遊びなさい!!」
小学生「げーやだよ今日寒みーじゃん」
母ちゃん「何言ってんのゲームばっかりしてて目が悪くなっても大して支障は無いけど運動神経良くしておかないと
中学校はスポーツで社交性みがいた運動神経の良いタイプがクラスの中心になるんだから
クラスのサッカー部やバスケ部からは同い年なのに見下されて女子からは気持ち悪がられて
クラスの男女混合グループの大きな笑い声を辛い気持ちで聞きながら
隅っこで男3人でクスクス笑ってるような気持ち悪いゲームオタクになっちゃうよ!!!」
小学生「…雄一誘ってサッカーしてくる…」
31 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/10/28(水) 19:37:52.66 ID:fWeSXkZH0
»22
教育とはこういうことを言うんだよな
4人で歩いてるとき自然に
○○○
●←おれ
この形になったとき
(via lowrence)
34:名無しさん@涙目です。(中国・四国):2011/07
/27(水) 15:08:28.78 ID:O/WnvUUXO
日本人は遅刻にはとても厳しい割りに
終業時間はとても寛容だとかよく聞く話だな
— JR西日本 2分遅刻すると5ヶ月晒し者 「頭も悪い、心も悪い」と暴言を吐かれるご褒美付き : 無題のドキュメント
■自殺しそうな人に「死ぬ気で頑張ればなんとかなる」と言うのが無駄な理由
が最近実感できた。
今まさに自殺したい方向へ気持ちが傾いてる。
自分もうっすら、「自殺するくらいなら、「どうせ死ぬし」な感覚で頑張ればいいのに」とか思っていた節があった
でも、なんか、違うんだよなあ。
自殺するときってさ、要するに希望が見えないのよ。
希望があれば人間は頑張れるっていうけど
論理的に逆ではないけどさ、文脈的に逆に言うと、
希望がないと人間頑張れないんだよ。
腹へってても確かに希望があると生きられる。でも希望がないと本当生きるのが難しい。
先が無いと思ってる人間は足を1歩踏み出せない。まあ考えてみれば当然なんだよな。
本当陳腐だけど、「希望」って本気で大事だと思う。
貧乏でも希望があれば頑張れるって、本当陳腐で使い古された言葉だけどあれは本当だと思った。
希望が見えないとどうしようもない。
「あ、もう全部だめだ」って思っちゃうともう真っ逆さま。
今、まさに俺がそうなんだけど、希望が見えないと、もう、「死にたいんだ!」というより「死ぬしか選択肢が無い」って気分になるんだよ。これは体験しないと分かりにくいけど、そのままの意味で、「それしかないから、そうするだけ」みたいな。積極的に死にたいっていうより。(つっても、そういう自殺者タイプもいるとは思う。連れ合いを亡くして突発的に、とか)
希望が全く見えない状態、つまり頑張ってもどうしようもないんだ、って思ってる状態だから、そんな人に「どうせ死ぬなら、その死んだつもりで頑張れば……」なんて全く無意味。そんなことしてもどうしようもないと思ってるから。死んだつもりでがんばればいいとか、一生懸命がんばればいいとか、そういう「努力の量」「気持ちの高さ」とかいう問題ではもう無いところにきてるんだよね。完全なる絶無っつーか、無っつーか、その名の通り真っ暗闇。
「君が死んだら〇〇が悲しむ」系も、正直、なんか自殺者の絶望感をナメすぎてるなって思う。
自分が死のうとしてるんだぜ?そんなときに、他人の事なんか考えていられると思う?
自分が一番の危機のときに、「他人の悲しみ」なんか考慮していられると思う?
言っちゃなんだけどさ、「悲しむ」って言われてもさ。だから何だよ。だから生きろっていうのか。お前が悲しむかもしれないために俺は苦しんで生きなきゃならんのか?何様だよってくらい思う。まあそれを聞いたら「悲しむ!」って言ってる人は「なんだよせっかくの人の好意を!」って腹立つだろうけど、まあ腹立つ時点で結局押し売りなんだよね。
本当凄い図々しいと思う。人が死ぬってときにお前の悲しみ?どんだけお前は、自分が凄い人間だと思ってるんだよと。
でもそんなこと、とてもこっちからは言えないからね。本当ズルイ言葉だと思うよ。自分は一切汚れない立場から物言えるんだからさ。
ま、言えないってのは、世間体的な意味というより元気がないんだけど。
俺なんか客観的に見てまだこんな事言ってるんだから大丈夫だとは思うけど
本当希望がないってのはキッツイ。
マジで希望って大事だと思う。ってホント陳腐な。でも陳腐な言葉って、自分がそれが必要な立場になると凄く生々しさを持ってリアリティをもって感じられる。健康体のときは「ハイハイ綺麗事」みたいな感じでスルーしてた言葉の数々が最近「うわ、ホントそうだわ」って身に染みる。
どうしたら自殺者を止められるかってのは正直分からない
結局その絶望感を取り除いてやればいいんだけど、それは大抵金絡みとか先の不安とかそうそう簡単に解決できるこっちゃない(つーかだから死にそうになってんだしな)から難しい
実際俺も自分をどう救ってやればいいか、分からない。このままだとずぶずぶ絶望に沈みそうな予感。一日のうちで今はまだ元気な方だからこんなことしていられるけど、一番ダメなときは駅のホームで急に涙出てくるしな。
本当困ったもんだよ。人間、ただ生きるってことがなかなか難しい。いっそ動物になれたらと思うこともある。
—自殺しそうな人に「死ぬ気で頑張ればなんとかなる」と言うのが無駄な理由 (via ibi)
これはそう。
(via vader-san)
(via chizudesu)
どの仕事も続かず、50代になっても引きこもり状態だった知人男性が、最近働き始めた。宅配業務だ。数週間後、その男性が嘆くのを聞いた。
「上司は、人の働きたがらない早朝や深夜便ばかり俺に押し付ける。得手勝手な連中ばかりだ」
そりゃそうだろう。50代無職の未経験者を雇う立場を考えれば、とりあえずは人手の空き時間をそれで埋め、使い勝手のいい20代に最も長時間の希望時間帯を提供しようとするだろう。
「人を何だと思っているのか」と憤る男性に、「仕方がない。頑張ろう」と励ましつつ、この「俺様」意識がどの仕事も長続きさせない核になっていることに、本人はいつ気づくのだろうと思った。
自分の思う自分の社会的位置と、社会で値踏みされる位置は違う。自任と他者評価は違うことに疎いタイプが少なからずいる。
テレビ業界ではアシスタントディレクターという位置は、一応、低いことになっている。
諸々の雑用もこなす立場だ。その20代女性に私は用事を頼んだ。
「今日、私が選んだ写真をデータでください」
「わかりました」
そして、私のメールに写真が届き、用事は終了…となる、はず、だった。
ところがその女性は違った。
インターネットに私の写真を50枚上げ、私がそれをダウンロードする手法をとった。
私が選んだ写真は5枚だ。
なぜボツ分を含む大量のデータをダウンロードさせようとしたのかはわからない。
ただ、その女性はデータを1個のファイルに圧縮して送らず、50枚の一枚一枚をそれぞれ50回ネットに上げ、私にダウンロードする案内をした。
その行為をするほうも大変だったろうが、ダウンロードするのも並大抵ではない。なんせ、そのほとんどが不必要で、その是非はダウンロードしないことには判断がつかなかった。
「私が選んだものだけを、メールで添付してください」と再度、連絡した。
すると、私が選んだものではなく、番組で使用したものが添付で数枚届いた。
そこで私は、この用事は彼女には無理であるという判断を下した。
「私が選んだものが添付されていません。次回、SDカードごとください」と連絡した。すると、ここから彼女の攻勢が始まる。
「本番で使用した、〇〇〇〇番と、△△△△番を送りました」と返事が来た。
つまり、「自分は間違っていない」と、画像の数字を羅列することで反論したのだ。
「いーえ。あなたは間違っている」と、ここで相手にしたら、私は泥沼に入ることを経験で知っていた。そもそもその女性は私の部下でもない。
その女性の上司に連絡を取った。
「まず、インターネットに上がっている私の写真を消去してください。それと、SDカードをください」
「はい」
それで済んだ。
写真をネットに勝手にあげたこと、写真を本人に送るという簡単な用事ができなかったこと等、その後上司から注意されていることは容易に想像できた。
だが、それを素直に聞くだろうか、という私の予感は的中した。
その女性からメールが来た。
「次回、SDカードをお渡しします」
そこには、手数をかけた詫びも、ネットに写真をあげた詫びもない。文面にその女性の憤りが見てとれた。
そしてその日。
何人もいる番組責任者が私の楽屋に詫びを言いに来た。
「今日、SDカードをお渡ししますので」
その後、女性が番組用カメラを持参し、言った。
「写真を選んでください。CDに焼き付けてお渡しします」
「SDカードをくれるのでは?」
「個人のものですので」
「あなた個人のもの?」
「いいえ。スタッフの」
「そのスタッフが、今日、SDカードを渡すと言ったんだけど?」
「他の仕事の写真も入ってますので」
「その写真はすぐに入り用のもの?」
「いいえ」
「見られて困るもの?」
「いいえ」
「では貸してくれる?」
「許可を取らないと」
… 会話をしているようだが、私は女性の意地と格闘していた。
「渡したらええやないか!」と、会話を聞いていたディレクターが怒鳴った。
しかし女性は引かない。
「では、許可を取ってから」と渡さず出て行った。
彼女以外の全員が「渡す」と言ったSDカード。彼女はいったい誰の許可をとりにいったのだろう。
そばにいた別のスタッフが言った。
「はい、というのが癪に障るから抵抗しただけ。すぐに許可が取れたといって持ってきます」
数分後。
「許可が下りました」と彼女は持ってきた。
詫びは当然、なかった。
しばらくして顛末をどこからか聞きつけた上司が、ひれ伏さんばかりに詫びに来た。
「今日に至ってまだそんな…。あの意地や頑なさはいったいなぜ」とため息した。
私にはわかる。
50回ダウンロードせよ、と指示した自分に従わなかった私への怒り、だ。
その怒りの根源には、「この私」がある。未経験者の50代男性の「俺様」と同じだ。
下働きとされるアシスタントディレクターもまた、自任と他者評価の温度差に憤る。
「ネットにあげる圧縮方法も、知らないなら聞けばいいのに、聞かないんです」嘆く上司。
「この私」がある以上、自分の正しさに執着するのも驚くことではなく、他人にうかがいをたてる、という謙虚さを願うのも空しい。
家でSDカードを見て驚いた。
変換用メディアがないとパソコンで開けないタイプのSDカードだった。
「これがないと見られません」と、メディアチップごと貸す方法もあったのに、一切触れずSDカードのみを黙って渡すところにまだ女性の意地が届いた。
私がこれまで出会った、たくさんの「この私」系女性たちを走馬灯のようによぎらせながら、ため息をついて、家電店に出向いた。
この時代、「データちょうだい」「はい」で、一分で終わる用事が、「この私」にかかると、10日を要し、大勢の責任者たちが詫びで右往左往することになった。
「この私」だけが、平然としている。
プライドの高い部下に共通してある「この私」と「俺様」の真の恐ろしさは、本人が生涯それに気づかないまま人生を終える可能性があるということ。憤りは自分に向かず常に他者に向く。私はそういうタイプには距離を置き怒らない。治らないし面倒だからだ。
— ねじ曲がったプライドは一生直らない:日経ビジネスオンライン (via nseki)(via chizudesu)
61 :名無しさん@涙目です。(東京都):2011/07/21(木) 19:26:27.03 ID:LbSKTYUR0
性欲を満たすための合理的な思考を持てば
自分の地位を社会的に高める方向に持っていける
魔法使いになるというのは、社会から逸脱した存在になるという隠語
— 痛いニュース(ノ∀`) : 男性にありがちなセックスの誤解 「20歳過ぎても女性経験ない男は魔法使いになれる」はウソ - ライブドアブログ